MAIL MAGAZINE
NEVER STOP THINKINGの選書担当が、店番中に本を読みながら考えたことを書いています。
気候危機や差別などの問題、社会運動について、ケアすることについて…
本の中と社会を行ったり来たりしながら、ぐるぐるしています。不定期配信。
SAMPLE
2025.08.15 『デザインはみんなのもの』
ミスフィッツ(はみ出し者)のストーリーを伝える出版スタジオ〈Troublemakers Publishing〉のブックレーベル〈Misfits Books〉から入荷した『デザインはみんなのもの』を読み進めていて、今回はこの本について書いてみます。
この本は、スイスを拠点に、フェミニズム、デザイン、政治に関するオンラインプラットフォームを運営している〈Futuress(フューチャーレス)〉が、これまでに掲載してきたおよそ140本の記事の中から、5本を抜粋・翻訳したエッセイ集です。トルコ、ノルウェー、アメリカ、インド、パレスチナの書き手たちが、フェミニストの視点を通して各地のデザイン業界の「当たり前」に潜むゆがみを批評し、世界をフェアなものに立て直していくための道筋を読者に示します。それぞれの書き手たちが綴る各国の現状は、遠くの場所で起きていることではなく、日本のそれとも重なる部分が多いです。
特に印象的だったのは、パレスチナのヴィジュアルアーティスト・独立研究者のノウラ・タフェチェさんの「パステルカラーの暴力」。日本が世界を魅了し続けているカワイイカルチャーの特徴である、親しみやすさや可愛らしさが、暴力を覆い隠すものとして機能してしまっている実態を書いたエッセイです。
アニメや漫画にとどまらず、ゲームやファッションなどとも密接に絡まり合うカワイイカルチャー。「カワイイ」は〈kawaii〉として世界からも認識され、注目を集めていることは、直接的にデザイン業界に関わっていない人でもなんとなく聞いたことがあるかと思います。一方で、このカルチャーの影響を受けたアニメ、漫画、ゲームのようなコンテンツの一部では、主に女性キャラクターの人物表象において露骨な性描写などが多く見受けられ、それは現実の暮らしに残った古めかしいジェンダーロールを助長するものとして問題視されている側面もあります。
そして近年、カワイイカルチャーは二次元や空想の域を越え、武器や兵器などのデザイン、さらには女性の見た目をした兵士を写したソーシャルメディア上における軍のイメージ戦略など、現実の世界に存在している暴力を巧妙に隠蔽するものとして使用されています。エッセイの後半では、カワイイカルチャーが持つ特徴を悪用した、イスラエル軍のプロパガンダが紹介されています。
イスラエルは、LGBTQ+の権利尊重をアピールしながら国際社会に対して自国のイメージアップをはかろうとしている一方で、パレスチナへの入植をやめないというダブルスタンダードを続けています。このエッセイを読んで初めて知ったのは、たとえばTikTokでは女性の見た目をした国防軍の兵士たちが、猫耳のコスプレでのポージングや過剰に性的な表現などを投稿していて、SNS上における視覚デザインを使って人々の目を欺き、植民地主義を隠蔽しようとしているということでした。
人が抱えているネガティヴな感情を癒してくれるようなカワイイはたしかに存在するし、そこにケア的な効用や期待も少なからずありますが、このようなプロパガンダに利用されるようなことはあってはならないと思います。
このような事例に限らず、自分が日常的に触れている何気ないデザインを、ただ無心に受け取るだけではなく、時には批評的に見てみることが必要だと感じました。たとえば、日本は欧米の文化に影響を受けてきたという歴史的な背景がある国で、ファッション雑誌のようなメディアでは、欧米のトレンドの模倣のようなものが続いています。それらのメディアでは白人か、あるいは白人にルーツがあるように見えるモデルが起用されていることが多く、そういったモデルの採用なども含めたメディアのデザインは、意図せず白人至上主義に加担してしまう恐れがあるんじゃないかと感じます。
今でも続く、人種に優劣をつける思想やそれを理由にした差別や迫害と、生活の中にある何気ないデザインはつながっている。そのことに気がつくと、どこから見ても完璧なデザインを目指すことの困難さはあるにせよ、それでもデザインをつくる側と受け取る側には、それぞれの立場からよりよいデザインについて考えることができるはずです。専門家やデザイナーではなくとも、というか、そうではない立場だからこそ気がつくこともきっとあって、暴力や差別をなくすために、このような視点からも対話を始めてみることが大切だと思います。